*何もできなかった過去

「○○市の国道で、
 車同士の衝突事故があり、
 親子3人が亡くなりました――」

朝のニュースが、淡々とそう告げた。

食卓のテレビから流れる声に、
誰かが言う。

「かわいそうに…」
「知り合いもあの道通るって言ってたけど、
 巻き込まれなくて良かったよ」

それで終わる。

『誰かの最期』は、
ほんの数秒で通り過ぎる。
まるで、今日の天気予報と
同じくらいの重さで。

そんな会話が当たり前に流れるこの社会で、
今日もまた、死は静かに、あるいは突然に、
目の前に姿を現す。

——あの日も、そんな一日だった。

雲ひとつない晴れた日。
風はやわらかく、光はあたたかく、
世界はまるで、
何事もなかったかのように穏やかだった。

そんな日だったのに、
私は、世界がひどく冷たく感じた。

開けた場所に、一台の車が止まっていた。
陽を反射して、車体がまぶしく光っていた。

その中で、
母親と小学生くらいのこどもが、
寄り添うように眠っていた。

まるで、
時間そのものが、
そこだけ止まっているようだった。

私はドアを開け、
声をかけ、
手を伸ばした。

けれど、
もう温もりは残されていなかった。

青空だけが、
何も知らない顔で
広がっていた。

その時の私は、
『親になる』ということの重さを、
何ひとつ分かっていなかった。

けれど、
親になった今なら、
少しだけ分かる気がする。

——母であることが、
どれほど孤独なことか。

——愛すれば愛するほど、
自分が削れていくことを。

——『強くあらねば』と思いながら、
心がもう立てなくなることを。

あの日の母親は、
きっと限界まで
『母』であろうとした人だった。

責任。
世間体。
理想。
こどもの未来。

それらを全部抱えたまま、
自分の中の光が
静かに消えていくのを、
誰にも見せられなかったのかもしれない。

誰も悪くない。
でも、誰も気づけなかった。
誰も支えてあげられなかった。
誰も止められなかった。

この世界では、
『何かをすくう』たびに、
『何かがこぼれ落ちていく』

助かった命の陰で、
声を出せない誰かが
静かに消えていく。

それが、社会という仕組みの中で、
いつの間にか
『仕方のないこと』に
なってしまっている。

そして世界は、
今日も晴れている。

変わらない青空の下で、
誰かがまた、
静かに限界に近づいているのに。

あの時感じた『冷たさ』は、
あの日の空の青さと一緒に、
今も私の中で
消えずに残っている。

………

私は、
ママを変えたいとか、
無理に笑ってほしいとか、
前を向いてほしいとは思わない。

ただ、
ママが見ている景色を、
私も一緒に見つめていきたい。

痛みを否定しないでいたい。
涙を無理に拭かず、
ただ、その想いのそばに
立っていたい。

誰にもわかってもらえなかった気持ちを、
誰かがちゃんと感じている。

たったそれだけのことが、
この世界の温度を
少し変える気がするから。

あの日の母親が残したのは、
絶望じゃなくて、
『生きることの重さ』だった。

その重さは、
決して消えない。

でも、
無理に消さなくてもいい。

人の心は、
光と影のどちらかじゃなくて、
その両方で
できているから。

私はこれからも、
すくいきれない想いや記憶があると知りながら、
それでも手を伸ばして、
そっと拾い上げるように
言葉を紡いでいきたい。

誰かを救うためじゃなく、
見えないところに
埋もれてしまった
『痛みのかけら』にも、
確かに『生きた証』が
あることを見失わないために。

それが、
何もできなかった過去を持つ私の、
これからつくる、
未来の物語だ。